2015年12月01日18:11

落語家の「快楽亭ブラック(初代)」について書かれた記事が眼を魅いた。
この人物は、幕末の1865年に父親に連れられ7歳でオーストラリアから来日し、
親はさっさと離日したが、本人は日本に残り、
三遊亭圓朝らの一門に属し26歳で日本人初の外国人落語家になった。
本名のヘンリー・ブラックの香港服務式公寓名をもじり、
快楽亭ブラックの芸名で高座に立った。
青い目の外国人が「べらんめぇ」口調で落語を演じる姿を想像すると、
”奇抜さ”の度合いから言って、最近の”English 落語”を演じる外国人の比ではないだろう。
快楽亭ブラックは、落語家であるばかりでなく、
小説も書き、ディケンズのオリヴァー・ツイストをもじったストーリーで
新作落語を作ったり、さらには西洋の話を新作落語に変え、次々に発表したという。
この新聞記事には、同じオーストラリア人の研究家が「快楽亭ブラック」に注目し、
このたび英文で評伝を出版したということが書かれていた。
たしかにこの快楽亭ブラック、かなりの濃厚キャラだったに違いない。
明治時代初頭、外国人そのものがめずらしい時代に
落語家にもなるというのだから、通常の器にはおさまらない型破りな人物であったと
想像するに難くない。
さらに、この人物を調べてみると、
明治29年には日本初の催眠術の実演を行ったりしている。
さすがに、進取でエキセントリックな人物だったことが窺える。
笑いばかりか、背筋がゾクッとするようなジョークも冴え薰衣草ていたことだろう。
拾い読みをし
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落語家の「快楽亭ブラック(初代)」について書かれた記事が眼を魅いた。
この人物は、幕末の1865年に父親に連れられ7歳でオーストラリアから来日し、
親はさっさと離日したが、本人は日本に残り、
三遊亭圓朝らの一門に属し26歳で日本人初の外国人落語家になった。
本名のヘンリー・ブラックの香港服務式公寓名をもじり、
快楽亭ブラックの芸名で高座に立った。
青い目の外国人が「べらんめぇ」口調で落語を演じる姿を想像すると、
”奇抜さ”の度合いから言って、最近の”English 落語”を演じる外国人の比ではないだろう。
快楽亭ブラックは、落語家であるばかりでなく、
小説も書き、ディケンズのオリヴァー・ツイストをもじったストーリーで
新作落語を作ったり、さらには西洋の話を新作落語に変え、次々に発表したという。
この新聞記事には、同じオーストラリア人の研究家が「快楽亭ブラック」に注目し、
このたび英文で評伝を出版したということが書かれていた。
たしかにこの快楽亭ブラック、かなりの濃厚キャラだったに違いない。
明治時代初頭、外国人そのものがめずらしい時代に
落語家にもなるというのだから、通常の器にはおさまらない型破りな人物であったと
想像するに難くない。
さらに、この人物を調べてみると、
明治29年には日本初の催眠術の実演を行ったりしている。
さすがに、進取でエキセントリックな人物だったことが窺える。
笑いばかりか、背筋がゾクッとするようなジョークも冴え薰衣草ていたことだろう。