難局に迫られた時
たしかに世の中全体が、責任を負わない構造がどこかにできてしまっている。
「誰が責任者なのか?」と思うことが多い。
一国の首相ですらそうだ。
「オレが責任者だ!」と思わせる首相をここしばらく見たことがない。
そういった時代だからこそ、大阪市長になった橋下徹氏は、
(賛否はともかく) 強烈な印象を与える。
責任を負わないという、モラトリアムの中から脱却の兆しが出ているようだ。
今日、新聞紙面を賑わした言葉は、
「原発事故の徹底究明や責任
追及をやるべきだ。
菅直人元首相も(偽証など) 場合によっては牢屋に入ってもらう」
これぐらい責任の所在をはっきりさせることが必要だろう。私?
そんなことを言いつつ、
責任を負わない典型的なモラトリアム人間でいたい。
現代では、あまり使わなくなった言葉に『即今(そっこん)』というのがある。
「目下」や「ただ今」という意味で、
「即今の政情は予断を許さない」などの使い方をする。
これが、料理の世界では、もっと違った深い意味を持ってくる。
『即今』
雋景とは、
「旬」の食材が、中でも一番おいしい味わいに達する時期を表し、
自然から溢れる滋味の恵みに感謝のこころをあらわすことを言うとある。
今、「即今」の味と言えば、やはり『牡蠣(かき)』。
日本では、フライや鍋にすることが多いが、
フランスなどではレモンの汁を絞り込み、生で食べる。
産地として特に有名なのが、フランス北部ブルターニュ地方の港町カンカル(Cancale)。
そのあたりと言えば、冬は寒く、凍てつくような地。
また、フランスと言えば、他の食べ物で生食などしない習慣をもっているのにもかかわらず、
牡蠣を生(ナマ)で、何ダースも食べる。
何とも豪快だ。
もちろん、この牡蠣。
養殖だが、なんと古代ローマの時代から行なっていたようだ。
深い貝殻と浅い貝殻の2枚からなるいわゆる二枚貝。
波打つような造形の神秘を感じさせるような形状をしている。